1996年生まれの男の日記

平凡な平成8年生まれのサラリーマンの日記

特別な友達


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私にはカメラを生業としている友達がいる。
名前はOくんとする。

彼とは中学からの仲だ。

中学1年生の頃から知り合いではあったが、中学3年生で同じクラスになり、仲良くなった。

彼は中学3年の頃にはすでにカメラを手にしていた。

修学旅行で同じ班であった私は彼にたくさんの写真を撮ってもらった。
現像したものを貰ったのだが、今でもそれは撮ってある。

彼と私は少し特殊な関係である。

というのも、彼とは高校に入学するあたりで疎遠になった。
私が彼と距離を取ったのだ。

理由はとても酷いものであり、彼の考え方が理解できなかった。

彼は中学生の時からカメラマンになりたいことを匂わせていた。
当時の私はそれを聴き、なんとも夢見がちな男だと馬鹿にしていたのだ。

しかしその極めて馬鹿らしい私の考え方は大学入学後に変わっていった。

というのも、その頃の私はどんどんロックミュージックに傾倒していった。
作曲を始め、いずれは自分もロックで一旗上げてやるのだ、と意気込んでいたのだ。

思えば私は中学生、高校生の頃にはとても現実を見た子供だった。
良い大学に入り、良い会社に入ることこそが正解であり、それをしない人間は頭が悪い愚かな奴らだと信じてやまなかった。

しかし、いざ大学に入学し自由を手にしたところ、その考えに歪みが生じた。

楽しげなサークルに入り、テキトーに楽しむことで自分は満足できなかったのだ。

加えて、いわゆる大学生がテキトーに遊び、就職し、働いていくことを肯定できなかったし、一緒になりたくないと強く思った。

そこで当時嘘のように浸り切っていたロックミュージックが私を音楽の世界に踏み込ませた。
俺にはロックがある、俺はこれを真剣にやる、とある種の覚悟を決めると同時に、心の拠り所を見つけたのだ。

大学1年生の12月にO君を含む中学校の同級生5人程で冬のキャンプに行くことになった。

私はこれに行くのが楽しみでもあり、少し怖かった。
というのも、O君と会うのは久しぶりであり、彼との関係は良好では無かったからだ。

その頃になると私はO君の夢を追う姿勢に僻みを覚えるほど憧れた。

彼はカメラマンになるための専門学校に通っていた。
彼は夢に向かって中学からずっと走り続けていたのだ。

対して私は何もしていなかった。
曲を作っても納得のいく形にはできず、自分の不甲斐なさにイライラしていた頃だ。

キャンプ当日の夜、あれは今でも鮮明に思い出されるほど最高の夜だった。

千葉県は犬吠埼のあたりのキャンプ場、客は我々しかいなかった。
深夜、海沿いの極寒の地で満点の星空の下、皆で焚き火を囲った。

そこで皆夢を語った。
詳細には覚えていないが私は音楽でどうにかなりたいと語った記憶はある。

皆、あまりにも自分の思うところを曝け出した。
あれは特別な時間だった。

こいつはこんなことを考えていたのか、と驚くこともあった。

その中で私はO君に全てを伝えた。
彼のことを過去馬鹿にしていたこと。今となっては彼のことが羨ましいことなどを伝えた。

それに対して彼も素直な気持ちを返してくれた。
彼は私に対して否定的な気持ちはなかったことがより申し訳なさを増させた。

また別の機会に、高校生の頃疎遠だったことを話した際には、O君と私の考え方が合わなくなったから疎遠になっただけで、今また似たような考え方になったから仲良くしてるだけだ、と話していた。
これを聞いた時私は、彼は本当に自分の道を見据え続けているのだなと愕然とした。
彼は私よりも好きなものを好きでいた。

その和解(私の中では)以来、私はまた彼との仲を良好にすることができた。
和解した時に共通の友人のT君が二人が和解したことが嬉しい、泣きそうだ、と言っていた。
彼も良い奴だ。

O君は私にとっては数少ない、本音で自分の人生について話すことができる友であり、彼には何度も刺激を受けた。
彼は常に自分で人生を選んでいたし、自分の好きなものに素直であった。
いまだに憧れの対象であり、彼は誰よりも格好良い。

彼はあまり口を開かない男だ。
今後もそれは変わらないと思う。
ただ、私はこれからも彼に会うたびに、嘘のない言葉で会話ができるだろう。それが嬉しい。

そんな彼が先日私の誕生日に私をこう評してくれた。
「気が付けば出会ってから12年経つらしい。友人の中でもかなり影響を受けた男。これからの活動も楽しみ」

自分の誕生日に友達からかけられた言葉で最も嬉しい言葉であったため、今回これを書いた。

また中学の友達連中とキャンプに行きたい。
楽しかった過去を酒の肴にし、今後の人生を語り合いたい。