1996年生まれの男の日記

元々はぼっち大学生のブログとして書いていましたが、今となってはただの1996年生まれの男の日記です。

学生時代の日曜日の終わりの切なさ

日曜日の終わりとは往々にして嫌なものだ。

今日、遊びに行った帰り道学生時代の日曜日の終わりはそんなに嫌じゃなかったよね、という話をした。

実際自分は嫌ではなかった。

嫌ではなかったのだが、どこか寂しさを感じていたなと思った。

小学生の頃、日曜日はもっぱら家族で出かけていた。

イオンに行ったり、ヤマダ電機に行ったり、生活用品などを買いに行っていたのだと思う。

私の家は大体自家用車で遠出をした。だから、日曜日の終わり、17時〜18時頃は車の中で迎えることが多かった。

社内のラジオは大体安倍礼司、その後の平原綾香の番組まで聴いていた記憶がある。

だんだんと日が落ちてきて、ああ日曜日が終わるんだなーと漠然と考えていた。

そこには「明日学校行きたくないな。」という気持ちは全くなかった。

学校は好きだったので、むしろ行きたい気持ちの方が強かったように思う。

しかし、そこには形容し難い寂しさがあった。

それは今思うに、家族団欒の時間が終わってしまうことや、なんとなく時間が過ぎていき、自分が中学生になってしまう、もう子供ではいられなくなってしまう、という気持ちから来るものだったように考えた。

しかし、そういう具体的な理由以外にも、何か日曜日が終わってしまうこと、1週間のうちにほんの少ししかない特別な時間が終わってしまうことに寂しさを感じていたのかもしれない。

中学生になっても日曜日の終わりの寂しさはあった。やはり中学校も好きだった私は中学校に行くことを厭わなかった。

でもやっぱり、日曜の終わりは寂しかった。この頃になると日曜日に家族で出かけることはあまりなく、午前中は部活に行き、午後は友達と遊んだり、家の自室で過ごしていた。

友達と遊ぶ時に関しては、皆と解散し、夕暮れの空の下、自転車を漕いで家に帰る時に寂しさを感じた。

一人で過ごす日についてはこれはもうあまりにも心に焼き付いている。

当時の私の部屋の主な家具はベッドと本棚、そして学習机である。

学習机の右隣には窓があり、ベランダに繋がっている。

5、6月、初夏の頃は18時30分頃、その窓を全開に開け少し冷たい風が入ってくる中、だらんと椅子に身体を預けて机の上に足を乗せた状態でラジオを聴いている時、私はどうしようもないくらいの切ない気持ちに襲われた。

何が理由かは分からない。

ただ、何か大事な、輝かしい一日が終わってしまったと、感じていたように思う。

この体験は一生忘れられない。

私の心の一番深いところにあり、なぜかは分からないがとても大切にしている。

高校生の頃も学校は嫌いじゃなかった。

高校生時代においても3年生の初夏まで、つまり部活を引退するまでの間は中学とあまり変わらない日曜日を過ごしていた。

が、部活引退後においてはその例外であった。

受験勉強を自分なりに一生懸命やっていた私は放課後毎日予備校に通っていた。

土曜日は朝から予備校に通う、まさに予備校漬けの毎日であった。

ただ、私が通っていた予備校はさほど大手の予備校では無かった為、日曜日は閉校日であった。

予備校のない日曜日、私は散歩をしながら勉強をしていた。

家で昼食を摂った後家を出る。

あまり良くないことではあるが、歩きながら英単語や歴史の参考書を読んだ。

歩き疲れたら公園のベンチなどに座り、それを続けた。

やがて日が落ちる頃になると帰路についた。

この帰り道のみ、私は参考書から目を話、好きなラジオを聴きながら歩いた。

この頃、日曜日の夜の寂しさはあまり無かった。

目の前の勉強で頭がいっぱいいっぱいだったのだろう。

多分人生において唯一寂しさを感じない日曜であったと思う。

大学生の頃の日曜日については、学生時代の中では一番最近のことであるはずなのにあまり覚えていない。

多分サボりまくっていたせいだ。

ただこれに似た寂しさ、切なさを感じていたのは夏休みの終わりと、卒業したあたりだと思う。

これについてはまた今度書きたい。

兎角、日曜の終わりというのは切ない。

が、現状は月曜日が始まることへの恐怖はない。

これは一つ幸せなことだろうと思う。

学生時代に後ろ髪引かれるが、今も悪くない。明日からも頑張ろう。

進撃の巨人の最終回で感じたエレンの人間くささ

進撃の巨人が完結した。

この作品は私が中学生の頃に始まった漫画であり、連載開始当初からメディアに大々的に取り上げられていたことも私も最初の方から追いかけていた。

と、そんなことは置いといて、最終回について言及する。

私が一番惹かれた部分はエレンが最後まで見せ続けた人間臭さである。

エレンを止めることができたアルミン達にエレンの記憶が戻るシーンがあった。

戦いが始まる前、エレンは事前にそれぞれの登場人物に自分の行動の真意とこれから取るべき行動の指針、そしてそれぞれの登場人物を肯定してあげるようなことを伝えたようであった。

このシーンで私は、エレンは優しいな、という感情以上に、エレンは自分のやったことを認めて欲しかった。みんなに自分を忘れないで欲しかったんじゃないかと強く思った。

実際アルミンとの、ミカサのエレンへの恋心についての口論の際にエレンはミカサに自分のことをずっと好きでいて欲しいと言っていた。
が、それに加えて調査兵団の仲間達に自分のことを忘れないでいて欲しい、好きでいて欲しいと願ったのではないかと思うのだ。

仲間のために自己を犠牲にする登場人物は漫画や映画の中では少なくない。
今回の終わり方についても、私はコードギアスを思い出した。

しかし、エレンの場合は少し異色であった。

自分のエゴも通したいがため、ある種の妥協案として、親しい人を助けるために自分の知り得ない沢山の人々を犠牲にすることを選ぶ樣、
自分の意思ひとつ、ほぼ独断で決めたことではあるが、そんな自分の行動を肯定して欲しいというエレンの気持ちはとても人間くさく感じ取れた。

思えば物語が進む中で所々天然な部分を見せてきたエレンだが、最後の最後までただの主人公ではなく私という至極一般的な若者(?)の共感できる範囲内の男の子であり、そんな彼が意を決して自分のエゴと仲間のために命をかけたことが私をとても感動させた。

俺もエレンを忘れないよ!みたいな気持ちである。

スポーツ漫画が好き

私が漫画の中で一番好きなジャンルがスポーツだ。

スポーツ漫画の一男好きなところを早速書いてしまう。

それは人の生き死にで感動させてこないところである。

某国民的海賊漫画などでは主要な登場人物が死んだことが多くの人の感動を生んだらしい。
しかし、それは至極当然のことだと思うのである。
大切な人や好きな人が死んだこと、またその際に遺した言葉に感動するのはある意味人として当たり前だと私は思う。

しかし、スポーツ漫画の場合は往々にしてそのような感動のさせ方はない。

例えば高校生の野球部が舞台の漫画であれば、高校3年間必死で練習をしてきたという努力が報われる様に感動する。
これは中々に難しいことだと認識している。
これまでにどのような練習を重ねてきたのか、どのような葛藤を抱えていたのかなどを丁寧に描いていなければ、感受移入ができず、感動することもできない。

特に私が感動してしまうのが、あまりスポットの当てられていない地味な登場人物が、努力し続けてきた渾身のワンポイント技で強敵に一泡吹かせる展開だ。
あれはアツい。
才能のない人間が努力している様に共感するのかもしれない。

また、私は中高生の時に運動部に所属していたこともあり、スポーツをする感覚(練習や試合、部活動の雰囲気など)を自分なりに持っているため、身近に感じられるのかもしれない。

兎角、これからもおもしろうスポーツ漫画に出会い続けたいのでおすすめがあれば教えて頂きたい。

ちなみに私が一番好きなスポーツ漫画はアイシールド21だ。
この漫画の登場人物はとてもファンタジーな技を多用するのだが、それが悪目立ちしないほど人間ドラマが素晴らしい。
神龍寺戦のヒルマに憧れ、雪光に泣く。あと、最終戦の峨王にも震える。あと巨神戦にも泣く。全部良い。好き。

既卒で就業経験の有る者が新卒採用を受ける方法

タイトル通り既卒で就業経験の有る者が新卒採用を受ける方法について記載する。
正確には就業経験がある私がどのようにして上場企業の新卒採用で内定をもらったかの経験談を書く事になる。

前置きなどしても仕方ないと思うので早速。

私は2019年の3月に大学を卒業し、その年の4月に大手企業に入社した。
その後大阪へ配属されるも、音楽への夢が諦めきれず5月末に退社。

東京に戻り6月に転職活動をし、ベンチャー企業に内定。7月から勤務。

この2019年7月〜2021年2月までの期間、私は都内でベンチャー企業に勤めながら音楽活動を続けた。

この音楽活動に一旦の限界を感じ転職活動を再び始めた。

この転職の際に、マイナビなどの新卒専用サイトに登録。

気になる会社の募集要項をチェックし、新卒3年以内とか、既卒可と書いてある企業を抽出。

抽出した企業1件1件に、以下の内容を記載したメールを、直接送る。(マイナビなどのサイト経由ではなくメールを送る。)

・大学は2019年に卒業したこと

・転職の理由は音楽活動であること。

・今も正社員ではあること

すると体感7割の確率で返信が来ないor断りの返信が来る。
がしかし、3割の確率でとりあえず説明会を受けて欲しいとか、履歴書を送ってくれといった返信が来る。

あとは普通の新卒の就活と同じ流れに乗った。

面接では当然ながら今までの経歴について深く聞かれた。
ここについては人によってしまうのだが、自分がこの空白の期間で何をしたかを具体的に話せれば問題はないと思う。
幸い私はある程度の結果が出ていたので、まともに活動をしていたことが証明できた。

こんな感じである。新卒で入った会社に馴染めず、とりあえず転職サイトで転職したけどすごく雑な扱いを受けてしまった、という話をよく聞くので参考になれば嬉しい。悪質な転職エージェントなどの被害に遭う人が減ることを願う。

大学卒業して3年以内の転職では新卒採用を受けようぜ

今回は最近の所謂ブログっぽいことを書きたい。

転職についてだ。

加えて今回対象とするのは大学を卒業して3年以内の人である。

結論から書くと、大学を卒業して3年以内の人は転職サイトや転職エージェントを使わず、マイナビなどの新卒向けの求人サイトを使用するべきである。

今回対象となるのは昔からある業界であり、ここ最近伸びている業界(ITなど)については例外である。

日本の社会構造上、歴史ある業界では新卒採用者の待遇を厚くし、中途採用者の扱いを厳しくすることがザラだ。

それは、転職をすることが肯定されつつある今の世の中でも変わらない傾向にあると感じる。
そもそも転職をしよう!というこのムーブメントは転職サイトやエージェントが作ったものであると私は理解している。

つまり単純な話だが、新卒で採用された会社に不満があるから転職をしたところで、転職先が歴史ある業界であった場合、より過酷な状況になることが予想される。
増して新卒を重視する会社が即戦力にならない中途採用をとるはずがないため、志望する人の多い会社には当然ながら入れない。

ただ、ここで一つ抜け道がある。

ある程度人気の企業においても、就業経験がある者を新卒採用の枠で採用してくれる場合があるのだ。

このような企業は少なくない。新卒3年以内であれば就業経験を問わず、新卒として扱ってくれるのである。

現に私は大学を卒業して2年が経ち会社も2社目であるにも関わらず、大企業に就職することができた。

新卒で取るのと、中途で取る、その違いは正直よく分からないし非効率的だと思う。

だが、そんな歪んだ構造に対応してでもそのような企業からの内定が欲しいのであれば、有用な手段である。

では実際にどのような経緯で内定を得たのか、それは次の記事に記載する。(疲れた。)(明日には公開すると思う。。。)

特別な友達

私にはカメラを生業としている友達がいる。
名前はOくんとする。

彼とは中学からの仲だ。

中学1年生の頃から知り合いではあったが、中学3年生で同じクラスになり、仲良くなった。

彼は中学3年の頃にはすでにカメラを手にしていた。

修学旅行で同じ班であった私は彼にたくさんの写真を撮ってもらった。
現像したものを貰ったのだが、今でもそれは撮ってある。

彼と私は少し特殊な関係である。

というのも、彼とは高校に入学するあたりで疎遠になった。
私が彼と距離を取ったのだ。

理由はとても酷いものであり、彼の考え方が理解できなかった。

彼は中学生の時からカメラマンになりたいことを匂わせていた。
当時の私はそれを聴き、なんとも夢見がちな男だと馬鹿にしていたのだ。

しかしその極めて馬鹿らしい私の考え方は大学入学後に変わっていった。

というのも、その頃の私はどんどんロックミュージックに傾倒していった。
作曲を始め、いずれは自分もロックで一旗上げてやるのだ、と意気込んでいたのだ。

思えば私は中学生、高校生の頃にはとても現実を見た子供だった。
良い大学に入り、良い会社に入ることこそが正解であり、それをしない人間は頭が悪い愚かな奴らだと信じてやまなかった。

しかし、いざ大学に入学し自由を手にしたところ、その考えに歪みが生じた。

楽しげなサークルに入り、テキトーに楽しむことで自分は満足できなかったのだ。

加えて、いわゆる大学生がテキトーに遊び、就職し、働いていくことを肯定できなかったし、一緒になりたくないと強く思った。

そこで当時嘘のように浸り切っていたロックミュージックが私を音楽の世界に踏み込ませた。
俺にはロックがある、俺はこれを真剣にやる、とある種の覚悟を決めると同時に、心の拠り所を見つけたのだ。

大学1年生の12月にO君を含む中学校の同級生5人程で冬のキャンプに行くことになった。

私はこれに行くのが楽しみでもあり、少し怖かった。
というのも、O君と会うのは久しぶりであり、彼との関係は良好では無かったからだ。

その頃になると私はO君の夢を追う姿勢に僻みを覚えるほど憧れた。

彼はカメラマンになるための専門学校に通っていた。
彼は夢に向かって中学からずっと走り続けていたのだ。

対して私は何もしていなかった。
曲を作っても納得のいく形にはできず、自分の不甲斐なさにイライラしていた頃だ。

キャンプ当日の夜、あれは今でも鮮明に思い出されるほど最高の夜だった。

千葉県は犬吠埼のあたりのキャンプ場、客は我々しかいなかった。
深夜、海沿いの極寒の地で満点の星空の下、皆で焚き火を囲った。

そこで皆夢を語った。
詳細には覚えていないが私は音楽でどうにかなりたいと語った記憶はある。

皆、あまりにも自分の思うところを曝け出した。
あれは特別な時間だった。

こいつはこんなことを考えていたのか、と驚くこともあった。

その中で私はO君に全てを伝えた。
彼のことを過去馬鹿にしていたこと。今となっては彼のことが羨ましいことなどを伝えた。

それに対して彼も素直な気持ちを返してくれた。
彼は私に対して否定的な気持ちはなかったことがより申し訳なさを増させた。

また別の機会に、高校生の頃疎遠だったことを話した際には、O君と私の考え方が合わなくなったから疎遠になっただけで、今また似たような考え方になったから仲良くしてるだけだ、と話していた。
これを聞いた時私は、彼は本当に自分の道を見据え続けているのだなと愕然とした。
彼は私よりも好きなものを好きでいた。

その和解(私の中では)以来、私はまた彼との仲を良好にすることができた。
和解した時に共通の友人のT君が二人が和解したことが嬉しい、泣きそうだ、と言っていた。
彼も良い奴だ。

O君は私にとっては数少ない、本音で自分の人生について話すことができる友であり、彼には何度も刺激を受けた。
彼は常に自分で人生を選んでいたし、自分の好きなものに素直であった。
いまだに憧れの対象であり、彼は誰よりも格好良い。

彼はあまり口を開かない男だ。
今後もそれは変わらないと思う。
ただ、私はこれからも彼に会うたびに、嘘のない言葉で会話ができるだろう。それが嬉しい。

そんな彼が先日私の誕生日に私をこう評してくれた。
「気が付けば出会ってから12年経つらしい。友人の中でもかなり影響を受けた男。これからの活動も楽しみ」

自分の誕生日に友達からかけられた言葉で最も嬉しい言葉であったため、今回これを書いた。

また中学の友達連中とキャンプに行きたい。
楽しかった過去を酒の肴にし、今後の人生を語り合いたい。

25歳になったが両親の背中は見えない

今年も無事誕生日を迎えて25歳になった。

25歳といえば、小学生や中学生の頃の自分からすると一人前の大人であり、仕事をバリバリこなしている、もしくはロックバンドで大成功を収めているであろう年齢だった。

しかし、もちろんそのようなことはない。ましてやサラリーマンとしてバリバリ仕事をしているということもない。

25歳という数字には流石に驚く。

巷では四捨五入すればアラサーである、と言われるが私の考えるに、15歳の人を指して四捨五入すれば20歳だ、などと言う人は少ないように思うため、そのような考えは無い。

がしかし、25歳という数字には歳をとったと感じてしまうのだ。

今の感覚としてはただ歳を重ねているだけな気がしてならない。

多分人間としての基礎としては中学生の時点で完成していたような気がする

何事にも斜に構え、人が良しとすることを良しとしない嫌な奴だ。

しかし変わったこともある。想像力がついたことや視野が広くなったことだろうか。

これは中学生の頃から今に至るまで、全138回の放送を何回も繰り返して聴き続けているPodcastゲーム脳ばと」にて話されており、なるほどと感心したのだが、人間は子供の頃から基本的な考え方は変わっていないけれど、視野が広くなったことによって大人なっていくのかもしれない。

そう考えるとSNSなどを見ていると、まだ視野が狭い人や想像力の足りない人が散見される。

彼らの考え方というのは間違ってはいないが、別の角度から物事を見る人がいることを認識できていないように感じる。

何より私にもそのようなところがある。

これは直さなければいけないが、それを認識できるようになったことは成長なのかもしれないと思う。

とは言え、私はまだ大人子供だろう。

例え自分の金で飯を食い、家に住んでいたとしても、本当の時ところが両親に及ばないと感じる。

同時に自分よりも遥かに出来た人間が親で良かったと思う。

彼らに追いつけるように歳をとっていきたい。

このような考え方をさせてもらえるというのは恵まれている証拠だと思う次第である。

何より、誕生日を祝ってくれる人がいるということが幸せなことだ。