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14歳の栞は懐古厨に刺さらない


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先日、渋谷のPARCO内の映画館で「14歳の栞」という映画をみた。

中学生時代が一番楽しかった、と、ある種のコンプレックスを抱いている私は中学からの友達を誘って観にいくことにした。
理由としては彼も自分と似たようなところがあるため楽しめるだろうと踏んだこと。
そして何より、私一人でこの映画を観た後、懐かしさや時間の不可逆さに打ちのめされてしまう気がしたからだ。

結果として、その心配は杞憂であり、自分が期待していた懐かしさや切なさは全くと言って良いほどなかった。

映画の内容は、中学二年生のとあるクラスに所属する三十五人の生徒、その一人一人にインタビューをすることで、彼ら個人個人の苦悩や恋愛事情等について、深く掘り下げることはなく、ただ『視る』というものであった。

単調に一人一人のインタビューが流れるだけなので感想がへぇーそうなんだ、以上ない。
これは製作者の勝手な解釈や演出が全くない、リアルな彼らの姿であることに偽りない故に、製作者の想定通りな気がする。
しかし、ホームページに記載されていた『彼ら一人一人にどこか自分が重なる』ということはなく、懐かしい気持ちにさせることすらなかったのは致命的だろう。

彼らは自分でもなければ自分い関わりのある人たちではない。
あくまで赤の他人である。そこに自分はいない。
中学生時代にこういう人いたな、くらいのことは思った。けれどそれはやっぱり同じクラスだった彼ではない。

切ない気持ちなったり、やりきれない気分になるかと思ったがそんなことは全くなかった。
出演者の保護者及び先生が見れば興味深い、一種の他人のホームビデオに他ならなく、これは映画なのか、と疑問である。

しかし、何が悪いのか詳細に説明できないのが難しい。
『普通の中学生の日常を切り取っているだけだから特に面白いことは起きないよ』、と事前の告知で前置きされているからだ。
本当にその通りであった。ただそれだけだ。

これは個人的な感想、特に感情のところで思ったことだが、この映画で懐かしさを得ることができる人は、人生が基本的にずっと上手くいき続けているため中学生時代に固執する必要はないが、中学生時代も勿論のごとく楽しかった人。そして中学時代悩み続けていた人の両極端に別れるだろう。
逆にいうと、中学生時代に執着のある人間は自分の理想の『あの頃』と比較し、自分のそれとは違うと自分勝手な否定をしてしまうのだ。
私もその一人だとは自覚している。

ただ、最初、映画も序盤の序盤の動物のシーン。あれは必要ないと感じた。
ただ中学生の日常を切り取った映像を撮りたいのなら、あのような壮大さなど必要ないように感じた。
また、学生個人個人の幼少期の映像などが差し込まれたが、彼らの発言の意味を補う意味では必要な部分もあったが、そうでないが散見された。
あれも要らないのではないか。

とはいえ、このような試みの映画はあまり観ないし、中学生が相手であるが故に踏み込みすぎたことを質問できないことなどは想像に難くない。
今後もこのような映画を撮っていくのかは分からないが、この手法で面白い映画を撮って貰いたい。
切ない気持ちにさせて欲しい。

余談だが、渋谷PARCOの映画館、水曜日は誰でも1200円で映画が見れる。
1200円でよかった。