1996年生まれの男の日記

平凡な平成8年生まれのサラリーマンの日記

twitterをもう一度楽しみたい

twitterを楽しみたい。
ここ1年くらいずっと考えていることだ。

私がtwitterを本格的に使い出したのは2012年、高校に入学し、両親からスマートフォンを買ってもらったタイミングだ。

当時twitterは可能性に満ちていた。インターネット上において、住んでいる場所も年齢も違う人と知り合い、毎日のようにコミュニケーションをとる仲になることはとても新鮮であり、楽しかった。

また、今にもましてtwitter上の人々が同じトレンドを追いかけていたように感じる。(これは自分のタイムラインの構成によるだけかもしれないが)
皆が一様に金曜ロードショーやワールドカップを観ながら逐一ポストを続ける様には興奮を覚えた。家にいながら皆んなで観る楽しみを得ることができるtwitterは高校生で行動に制限がある者としては便利だった。

それから現在に至るまで、ずっとTwitterは使っている。だが、以前のような楽しさはあまりない。
使い始めて丸9年経つサービスなので新鮮さがなくなるのは当然だろう。
加えて、フォローしている人数が一時は1900人に昇るほどであり、ずっとTwitterに張り付いている訳ではない私は把握しきれなくなった。
そのため、最近はフォロー数を減らしていっている。お互いにバンドなどの宣伝目的で繋がっている人はとりあえず外した。
プロフィールも簡素なものに書き換えた。前のプロフィールは自分のロックバンドの曲を聴いてくれ、というメッセージ性が強く、下手したらスパムのように思われるものであったなと反省している。(少々簡素すぎる気もするが、正しい書き方がわからない)

twitter独特の、すごく親しい訳ではないけれど毎日の変化を共有し合う、ちょうど良い仲の人が増えることを願っている。

春が嫌いだった

私は4月の生まれだ。春の生まれだ。

しかし、ここ数年春が嫌いであった。

春は始まりの季節である。

大学入学前の春はいよいよ新生活が始まると期待したものだし、大学2年生を迎える春においても、この年はもっと良い年になるに違いない、と多少なりとも期待感を抱いていた。
特に大学2年生の頃は大学生活にも慣れ、2ヶ月間もある春休みを完全に満喫していたものだから特に印象に残っている。
髪の毛を明るめに染め、the pillowsKOOL SPICEというアルバムを聴きながら立川周辺を散策した記憶が鮮明だ。

大学3年生くらいだろうか、私は春に対して懐疑的になった。
というのも、卒業が近づいていることを実感することが私を焦らせたのだ。

その頃になると、私はロックバンドで活動を始めていた。
卒業すればメンバーは辞めてしまうだろうし、自分もバンドを続けていくのかどうか決心がついていなかった。

また、周りの大学生たちが、サークルやゼミで楽しくやっているのを見て、自分がそういう楽しみ方を拒絶したまま卒業していくことに不満を感じていたように思う。
バンド活動をやりそれなりの結果を収めたし、女もそこそこに作った。それでもなお、そういうところにどこか憧れに似た感情を抱いていたのは事実だろう。もっと詳しく、正直に書くならば、私も彼らのように馬鹿になり、刹那的な楽しみに身を置きたかった。

殊更春、入学式シーズンになると、新入生を迎えるために各サークルの勧誘活動でキャンパスは盛り上がりを見せていた。
それを横目に一人でキャンパスを歩く自分が惨めに思えた。そしてその惨めさを塗りつぶすように曲を書いた。

大学卒業後も春嫌いは続いた。大学時代とは別のバンドを組み、活動を続けたものの、思うように事は進まなかった。
ただ、そこで諦めてしまうほど結果が出なかった訳でもなく、あと少し、あと少しで突き抜けられる、といった状態が続いた。

春を迎えるたびに、次のステップへ進んでいく同級生や後輩を見て、自分だけがいまだに学生時代に取り残されているようんな感じがしてならなかった。やはり春は私を焦らせた。

今年の春は少し様子が違う。
私は毎日のように散歩に出、桜の写真を撮ったりしている。

バンド活動も一区切りし、4月から新しい仕事に就く。
新しく始まる仕事も少し特殊で、新卒としてやり直す形になる。(この辺は複雑なので後日書く)
加えて、2月で仕事を辞めてから3月中は無職のため、今年の春は精神的にも余裕がある。

例年の癖が抜けていないのか、そういう気質なのか分からないが、多少の切なさは感じている。
音楽に区切りをつけたこともあるのだろう。

ただ、桜を見て綺麗だと思ったり、暖かい日差しを受けて気持ちが良いと思える今年の春は嫌いじゃない。

一人で過ごす休日の楽しみ方

タイトルの通り、社会人になってからの何も予定がない休日の私の過ごし方を書く。
私には一人で休日を過ごす際のお決まりの過ごし方がある。

起床は8時〜9時くらい。遅くはないと自負している。
起きたら朝飯は食わない。テレビゲームをしたり、朝から映画を見たりする。
見たいと思っているけどいまいち見るタイミングないな、とか考えちゃう作品は朝イチ、頭が回転していない状態で見始めてしまうと良い。
布団の中で見れるからアマプラやネトフリは素晴らしい。
大体アイフォンで見ている。ノートPCはデカすぎる。まともなタブレットが欲しい。

昼前、11時半頃に家を出る。この際、割と気に入っている服を着る。
私の場合、会社へは基本スーツでの出勤であるため、それだけで少しテンションが上がる。
メガネをコンタクトに変え、髭もちゃんと剃る。

昼飯は大抵いきなりステーキかくら寿司に行く。これがなんとも庶民的だ。
というか、発想が貧困であるし、一部の人からは舌が馬鹿だと言われるだろう。
私が好きなのだから別に良い。

知り合いに会うと面倒なので少し離れたところに行く。

この2店舗の共通点は一人席が設けられているところだ。落ち着いて食えるし、私が贔屓にしている店舗は並ばない。
価格も安いので値段を気にせず食える。美味い、大変満足。

飯の後は軽く散歩をする。新宿、池袋、上野、お茶の水、高円寺など、その時行きたいところに行く。

で、そこで喫茶店に入る。この際の喫茶店は大体チェーン店。ドトールとかサンマルクで良い。
アイスコーヒーを飲みながら、ここで作業をする。
作詞とか、今みたいな文字書きとか、転職活動まで色々。

で、終わって電車に揺られて帰る頃には夜だ。

基本的にこの一連の流れ中ずっとイヤフォンをしている。
Bluetoothイヤフォンの充電がもたないため、移動中はBluetooth、席に着くときは有線、と使い分けている。

仕事がある時はこんな感じで過ごしていた。

もちろん毎回ではなく、例えば曲を作ったりするときは部屋にいてばっかりのこともあった。

4月から職場が変わり、どうなるか想像がつかないが自分なりの幸せな時間を過ごせると良い。

旅行から帰ってきた時の全て終わってしまった感

2021年3月21日日曜日、22時前。
旅行から帰ってきて30分ほど経ち、ブログを書いている。
元々の予定では緊急事態宣言が解除されている予定であったのだが、延長のため宣言下での決行となった。
(なんなら2回目の緊急事態宣言もまだであった。)

旅行については多分今後書く。今回は旅行の後の虚無感について触れたい。

2泊3日の旅行に行ってきたわけだが、今現在、虚無感というか、喪失感がすごい。

というのも、これは旅行に限った話ではないが、私は生きている時楽しみなイベントがある日をある種の節目と考え、それに向かって仕事を頑張る、という生き方をしている。(と言っても今月は無職だが・・・。)

社会人になってからというもの、往々にして毎日はしんどい。だからその傾向はより顕著になった。

加えてその楽しみが3日間続く旅行となると、喪失感は格別だ。

楽しみが終わってしまったという喪失感に加えて、楽しかった非現実の世界がから、そこそこにキツく、長い現実へと引き戻されてしまう。

幸い明日は仕事がないためこの喪失感に付き合ってやることができるが、無職もあと10日である。

そろそろ気持ちの切り替えをしていく必要がある。

シンエヴァを見てエヴァ世代が羨ましくなった

シン・エヴァンゲリオンを見た
最初に書いておくとこの日記のタイトル通り私は1996年生まれの男であり、当然ながらエヴァ世代ではない。
新劇場版の序が公開される頃に小学校高学年であった私は敢えて言うなら新劇場版世代世代だろう。
小学生で序、中学生で破、高校生でQ、社会人2年目も終わる頃にシン、と来ている。

シンエヴァの感想だが、正直言って感動や興奮は無かった。
ただつまらなく、面白かった。

見ていて強く思ったのはシンジやゲンドウの最終的な成長を自分に重ねることが非常に難しかったのだ。
シンジは父の苦しみを理解したり、ミサトの死を正面から受け入れられるほどに人として正しく成長を遂げた。
その上でエヴァの無いエヴァを作ることを決めた。

これは片方では庵野監督の積年の葛藤に答えが出、この葛藤に終止符を打つ意味が込められていたと思う。
しかしそれ以上に、TVアニメ放送時にエヴァと出会い、シンジやアスカに共感したり、考察を楽しんだ青春時代を持つかつての少年少女に対して
『もうエヴァがなくてもやっていけるよね。』
という優しくも突き放すような、彼らの青春時代にピリオドを打つメッセージのように感じられた。
まさに今まで彼らが興奮し熱狂した全てのエヴァンゲリオンはもう彼らにとって必要ない、君たちはちゃんと成長したから前に進みなさい、と庵野監督が優しく諭してくれている気さえした。

そういった意味でこの完結作は素晴らしいものであると強く思った

しかし私は共感できなかった。

私にとってのエヴァは新劇場版の4部作は、ただの4部作のクオリティの高いアニメ映画に他ならない。

理由は至極当然でエヴァ世代ではないからである。

私が中学生になり、アニメや漫画をちゃんと理解する頃にはエヴァに影響を受けたであろう後発のセカイ系作品が溢れていた。
当然ながら既に昔の作品と認識しているエヴァよりも、自分たちの世代の作品であるそれらのセカイ系作品に没頭したことは言うまでもない。

その後私はエヴァの漫画やTVアニメシリーズを全て見るのだがその時の感想も、面白い作品だな、に留まってしまった。

ただ、エヴァが評価されている理由はわかっているつもりだ。ちょうどスターウォーズが評価されるように(私はSW好きです。)当時まだ誰もやっていない先進的なことをやってのけた作品らしいと理解している。

実際に新劇場版の作品が毎回公開されるたびにテレビやネットは大いに盛り上がる。

この盛り上がりについても私はギャップを感じていた。
おそらく当時からの視聴者は新作が見れる喜びや完結に向かっていく緊張感などから興奮しているのだろう。
それに対し私はあくまでも、毎回見ている質の高いアニメ映画の新作が始まったから見に行こう、というなんとも普通の感情を抱いていた。
盛り上がりに私も混ぜてくれとも思った。(これはひとえに私が流行りに乗りたい性分だからだろうが。)

冗長になってきたのでまとめると、私はエヴァが好きだし、楽しめている。
だがそれ以上に、自分の人生と照らし合わせることができる作品としてエヴァを見ている人たちが羨ましいのだ。

14歳の栞は懐古厨に刺さらない

先日、渋谷のPARCO内の映画館で「14歳の栞」という映画をみた。

中学生時代が一番楽しかった、と、ある種のコンプレックスを抱いている私は中学からの友達を誘って観にいくことにした。
理由としては彼も自分と似たようなところがあるため楽しめるだろうと踏んだこと。
そして何より、私一人でこの映画を観た後、懐かしさや時間の不可逆さに打ちのめされてしまう気がしたからだ。

結果として、その心配は杞憂であり、自分が期待していた懐かしさや切なさは全くと言って良いほどなかった。

映画の内容は、中学二年生のとあるクラスに所属する三十五人の生徒、その一人一人にインタビューをすることで、彼ら個人個人の苦悩や恋愛事情等について、深く掘り下げることはなく、ただ『視る』というものであった。

単調に一人一人のインタビューが流れるだけなので感想がへぇーそうなんだ、以上ない。
これは製作者の勝手な解釈や演出が全くない、リアルな彼らの姿であることに偽りない故に、製作者の想定通りな気がする。
しかし、ホームページに記載されていた『彼ら一人一人にどこか自分が重なる』ということはなく、懐かしい気持ちにさせることすらなかったのは致命的だろう。

彼らは自分でもなければ自分い関わりのある人たちではない。
あくまで赤の他人である。そこに自分はいない。
中学生時代にこういう人いたな、くらいのことは思った。けれどそれはやっぱり同じクラスだった彼ではない。

切ない気持ちなったり、やりきれない気分になるかと思ったがそんなことは全くなかった。
出演者の保護者及び先生が見れば興味深い、一種の他人のホームビデオに他ならなく、これは映画なのか、と疑問である。

しかし、何が悪いのか詳細に説明できないのが難しい。
『普通の中学生の日常を切り取っているだけだから特に面白いことは起きないよ』、と事前の告知で前置きされているからだ。
本当にその通りであった。ただそれだけだ。

これは個人的な感想、特に感情のところで思ったことだが、この映画で懐かしさを得ることができる人は、人生が基本的にずっと上手くいき続けているため中学生時代に固執する必要はないが、中学生時代も勿論のごとく楽しかった人。そして中学時代悩み続けていた人の両極端に別れるだろう。
逆にいうと、中学生時代に執着のある人間は自分の理想の『あの頃』と比較し、自分のそれとは違うと自分勝手な否定をしてしまうのだ。
私もその一人だとは自覚している。

ただ、最初、映画も序盤の序盤の動物のシーン。あれは必要ないと感じた。
ただ中学生の日常を切り取った映像を撮りたいのなら、あのような壮大さなど必要ないように感じた。
また、学生個人個人の幼少期の映像などが差し込まれたが、彼らの発言の意味を補う意味では必要な部分もあったが、そうでないが散見された。
あれも要らないのではないか。

とはいえ、このような試みの映画はあまり観ないし、中学生が相手であるが故に踏み込みすぎたことを質問できないことなどは想像に難くない。
今後もこのような映画を撮っていくのかは分からないが、この手法で面白い映画を撮って貰いたい。
切ない気持ちにさせて欲しい。

余談だが、渋谷PARCOの映画館、水曜日は誰でも1200円で映画が見れる。
1200円でよかった。

太っていた

タイトル通りになります。

大学生の頃にも更新していたこのブログですが、あれから三年がたとうとしている今、あの頃から体重が8キロも増えていました。

元々太っっている方ではなかったので体重計に乗る習慣がなかったので、久しぶりに乗って驚愕しました。
大変危機感を覚えています。

とりあえず甘いものを禁止し、食事の摂取カロリーについても制限することにしました。

学生の頃はまさか自分が太るとは思わなかった・・・

肩こりがすごいと言われたりと、最近妙に年を感じます。

今年で二十五歳、三十歳が近づいて来ている・・・

なぜか今回はですます口調でした。なぜだろう。