1996年生まれの男の日記

平凡な平成8年生まれのサラリーマンの日記

春が嫌いだった


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私は4月の生まれだ。春の生まれだ。

しかし、ここ数年春が嫌いであった。

春は始まりの季節である。

大学入学前の春はいよいよ新生活が始まると期待したものだし、大学2年生を迎える春においても、この年はもっと良い年になるに違いない、と多少なりとも期待感を抱いていた。
特に大学2年生の頃は大学生活にも慣れ、2ヶ月間もある春休みを完全に満喫していたものだから特に印象に残っている。
髪の毛を明るめに染め、the pillowsKOOL SPICEというアルバムを聴きながら立川周辺を散策した記憶が鮮明だ。

大学3年生くらいだろうか、私は春に対して懐疑的になった。
というのも、卒業が近づいていることを実感することが私を焦らせたのだ。

その頃になると、私はロックバンドで活動を始めていた。
卒業すればメンバーは辞めてしまうだろうし、自分もバンドを続けていくのかどうか決心がついていなかった。

また、周りの大学生たちが、サークルやゼミで楽しくやっているのを見て、自分がそういう楽しみ方を拒絶したまま卒業していくことに不満を感じていたように思う。
バンド活動をやりそれなりの結果を収めたし、女もそこそこに作った。それでもなお、そういうところにどこか憧れに似た感情を抱いていたのは事実だろう。もっと詳しく、正直に書くならば、私も彼らのように馬鹿になり、刹那的な楽しみに身を置きたかった。

殊更春、入学式シーズンになると、新入生を迎えるために各サークルの勧誘活動でキャンパスは盛り上がりを見せていた。
それを横目に一人でキャンパスを歩く自分が惨めに思えた。そしてその惨めさを塗りつぶすように曲を書いた。

大学卒業後も春嫌いは続いた。大学時代とは別のバンドを組み、活動を続けたものの、思うように事は進まなかった。
ただ、そこで諦めてしまうほど結果が出なかった訳でもなく、あと少し、あと少しで突き抜けられる、といった状態が続いた。

春を迎えるたびに、次のステップへ進んでいく同級生や後輩を見て、自分だけがいまだに学生時代に取り残されているようんな感じがしてならなかった。やはり春は私を焦らせた。

今年の春は少し様子が違う。
私は毎日のように散歩に出、桜の写真を撮ったりしている。

バンド活動も一区切りし、4月から新しい仕事に就く。
新しく始まる仕事も少し特殊で、新卒としてやり直す形になる。(この辺は複雑なので後日書く)
加えて、2月で仕事を辞めてから3月中は無職のため、今年の春は精神的にも余裕がある。

例年の癖が抜けていないのか、そういう気質なのか分からないが、多少の切なさは感じている。
音楽に区切りをつけたこともあるのだろう。

ただ、桜を見て綺麗だと思ったり、暖かい日差しを受けて気持ちが良いと思える今年の春は嫌いじゃない。