1996年生まれの男の日記

平凡な平成8年生まれのサラリーマンの日記

1996年生まれの私にとっての秋葉原


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先日、久しぶりに秋葉原に行った。
もう少しで東京を離れるからである。

私が初めて秋葉原に行ったのは2010年。けいおん!!(2期の方)が放送中で、俺の妹がこんなに可愛いわけがないとある魔術の禁書目録Ⅱ辺りの放送を控えていた時期だ。
正式に言うならば東京近郊に住んでいた私は両親に連れられて秋葉原には何度か行っていたが、自発的に行ったのはこの頃が初めてだった。

当時の私はオタクに対して非常に憧れがあった。中学2年生の私は野球部の部長を務めおり、アニメを見るようなタイプではなかった。
そんな私は深夜ラジオに傾倒し、やがてたくさんの知識を持つオタクに憧れていった。
今回は自分語りは面倒なのでこのくらいにする。

とにかくオタクに憧れる自分にとって秋葉原は輝いて見えた。家から電車で30分の距離ではあるものの、当時は電車で友達と遊びに行くと言うのは一大行事であった。

大宮方面から京浜東北線秋葉原へ向う。
駅に着くと車内から大きいヨドバシカメラが見える。あれだけでテンションが上がったものだ。

電気街口を出、中央通りを渡る横断歩道の辺りまで来れば、大きなアニメの広告がいくつも見られる。
ああ、俺は今秋葉原にいる、オタクの街にいるぞ!と昂った。

中学生の私たちは金もないためこれといった買い物はできない。だが、とにかく色々な店に入った。
買えもしないプラモデルやフィギュアを見て、そういうものが売っていること自体に喜びを感じた。
秋葉原は本当に非現実的な場所だった。

そんな原体験があるものだから、私はいまだに秋葉原に行きたくなる。
しかし、行ったとてものの10分ほどでやる事はなくなる。

もうアニメもほとんど見ないし、グッズが欲しいとも思わない。
あの時の興奮はもう何回行っても味わえないと思うと寂しい。

今の中学生も秋葉原に同じようなイメージを持っているのだろうか。
最近は無料案内所ができるなど、その様相は以前にもまして違っているように思える。

ただ、私が中学生の頃もインターネット上では、秋葉原はもうつまらなくなった、という旨の記述をよく見かけた。
確かに当時の秋葉原は電気街の要素はほとんど無かった。それらの存在が秋葉原を表すと考えている人からすればつまらない街だったのだろう。
しかし、当時の私からすればあそこは間違いなくオタクの街であり、自分が憧れていた街に他ならなかった。
自分が見ているアニメの掲示物などを見るだけで感動したし、学校ではあまり感じることができない、アニメなどの流行を感じることができた。

どの世代の人もその世代特有の秋葉原観を持っており、それが『自分の街』と認識できるとしたら素敵だなと思う。