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学生時代の日曜日の終わりの切なさ


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日曜日の終わりとは往々にして嫌なものだ。

今日、遊びに行った帰り道学生時代の日曜日の終わりはそんなに嫌じゃなかったよね、という話をした。

実際自分は嫌ではなかった。

嫌ではなかったのだが、どこか寂しさを感じていたなと思った。

小学生の頃、日曜日はもっぱら家族で出かけていた。

イオンに行ったり、ヤマダ電機に行ったり、生活用品などを買いに行っていたのだと思う。

私の家は大体自家用車で遠出をした。だから、日曜日の終わり、17時〜18時頃は車の中で迎えることが多かった。

社内のラジオは大体安倍礼司、その後の平原綾香の番組まで聴いていた記憶がある。

だんだんと日が落ちてきて、ああ日曜日が終わるんだなーと漠然と考えていた。

そこには「明日学校行きたくないな。」という気持ちは全くなかった。

学校は好きだったので、むしろ行きたい気持ちの方が強かったように思う。

しかし、そこには形容し難い寂しさがあった。

それは今思うに、家族団欒の時間が終わってしまうことや、なんとなく時間が過ぎていき、自分が中学生になってしまう、もう子供ではいられなくなってしまう、という気持ちから来るものだったように考えた。

しかし、そういう具体的な理由以外にも、何か日曜日が終わってしまうこと、1週間のうちにほんの少ししかない特別な時間が終わってしまうことに寂しさを感じていたのかもしれない。

中学生になっても日曜日の終わりの寂しさはあった。やはり中学校も好きだった私は中学校に行くことを厭わなかった。

でもやっぱり、日曜の終わりは寂しかった。この頃になると日曜日に家族で出かけることはあまりなく、午前中は部活に行き、午後は友達と遊んだり、家の自室で過ごしていた。

友達と遊ぶ時に関しては、皆と解散し、夕暮れの空の下、自転車を漕いで家に帰る時に寂しさを感じた。

一人で過ごす日についてはこれはもうあまりにも心に焼き付いている。

当時の私の部屋の主な家具はベッドと本棚、そして学習机である。

学習机の右隣には窓があり、ベランダに繋がっている。

5、6月、初夏の頃は18時30分頃、その窓を全開に開け少し冷たい風が入ってくる中、だらんと椅子に身体を預けて机の上に足を乗せた状態でラジオを聴いている時、私はどうしようもないくらいの切ない気持ちに襲われた。

何が理由かは分からない。

ただ、何か大事な、輝かしい一日が終わってしまったと、感じていたように思う。

この体験は一生忘れられない。

私の心の一番深いところにあり、なぜかは分からないがとても大切にしている。

高校生の頃も学校は嫌いじゃなかった。

高校生時代においても3年生の初夏まで、つまり部活を引退するまでの間は中学とあまり変わらない日曜日を過ごしていた。

が、部活引退後においてはその例外であった。

受験勉強を自分なりに一生懸命やっていた私は放課後毎日予備校に通っていた。

土曜日は朝から予備校に通う、まさに予備校漬けの毎日であった。

ただ、私が通っていた予備校はさほど大手の予備校では無かった為、日曜日は閉校日であった。

予備校のない日曜日、私は散歩をしながら勉強をしていた。

家で昼食を摂った後家を出る。

あまり良くないことではあるが、歩きながら英単語や歴史の参考書を読んだ。

歩き疲れたら公園のベンチなどに座り、それを続けた。

やがて日が落ちる頃になると帰路についた。

この帰り道のみ、私は参考書から目を話、好きなラジオを聴きながら歩いた。

この頃、日曜日の夜の寂しさはあまり無かった。

目の前の勉強で頭がいっぱいいっぱいだったのだろう。

多分人生において唯一寂しさを感じない日曜であったと思う。

大学生の頃の日曜日については、学生時代の中では一番最近のことであるはずなのにあまり覚えていない。

多分サボりまくっていたせいだ。

ただこれに似た寂しさ、切なさを感じていたのは夏休みの終わりと、卒業したあたりだと思う。

これについてはまた今度書きたい。

兎角、日曜の終わりというのは切ない。

が、現状は月曜日が始まることへの恐怖はない。

これは一つ幸せなことだろうと思う。

学生時代に後ろ髪引かれるが、今も悪くない。明日からも頑張ろう。