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進撃の巨人の最終回で感じたエレンの人間くささ


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進撃の巨人が完結した。

この作品は私が中学生の頃に始まった漫画であり、連載開始当初からメディアに大々的に取り上げられていたことも私も最初の方から追いかけていた。

と、そんなことは置いといて、最終回について言及する。

私が一番惹かれた部分はエレンが最後まで見せ続けた人間臭さである。

エレンを止めることができたアルミン達にエレンの記憶が戻るシーンがあった。

戦いが始まる前、エレンは事前にそれぞれの登場人物に自分の行動の真意とこれから取るべき行動の指針、そしてそれぞれの登場人物を肯定してあげるようなことを伝えたようであった。

このシーンで私は、エレンは優しいな、という感情以上に、エレンは自分のやったことを認めて欲しかった。みんなに自分を忘れないで欲しかったんじゃないかと強く思った。

実際アルミンとの、ミカサのエレンへの恋心についての口論の際にエレンはミカサに自分のことをずっと好きでいて欲しいと言っていた。
が、それに加えて調査兵団の仲間達に自分のことを忘れないでいて欲しい、好きでいて欲しいと願ったのではないかと思うのだ。

仲間のために自己を犠牲にする登場人物は漫画や映画の中では少なくない。
今回の終わり方についても、私はコードギアスを思い出した。

しかし、エレンの場合は少し異色であった。

自分のエゴも通したいがため、ある種の妥協案として、親しい人を助けるために自分の知り得ない沢山の人々を犠牲にすることを選ぶ樣、
自分の意思ひとつ、ほぼ独断で決めたことではあるが、そんな自分の行動を肯定して欲しいというエレンの気持ちはとても人間くさく感じ取れた。

思えば物語が進む中で所々天然な部分を見せてきたエレンだが、最後の最後までただの主人公ではなく私という至極一般的な若者(?)の共感できる範囲内の男の子であり、そんな彼が意を決して自分のエゴと仲間のために命をかけたことが私をとても感動させた。

俺もエレンを忘れないよ!みたいな気持ちである。