1996年生まれの男の日記

平凡な平成8年生まれのサラリーマンの日記

春の穏やかな朝の思い出とか

ここ最近会社の研修所に泊まり込みで仕事をしている私だが、金曜及び土曜の夜の外泊は許されているため、中野の家に一時帰宅をしている。

午前11時にこれを書いているのだが、現在部屋の窓を開けている。

相変わらず車の行き交う音や自転車の車輪がシャーっと過ぎていく音は聞こえるが、鳥の囀りが聞こえるのがまた良い。

春は嫌いだったというブログを書いたことがあるが、日中このような春めいた日に窓を開けて、テレビやラジオも一切つけずにのんびりするのは嫌いじゃない。
多分自分の中で余裕を作っているのだと思う。

このような感覚は中学生の頃からあったと記憶している。

中学生の頃、土日は殆ど部活に明け暮れていたが、定期テスト前になるとそれも休みとなった。
とにかく勉強嫌いだった私は当然ながら机に向かうことなく、当時まだ触り始めて間もない父親のパソコンを借りて2ちゃんねるまとめサイトを除いたり、漫画などのレビューサイトを漁っていた。

その頃にはもう、家にいようがいまいが基本的はイヤフォンをして音楽ないしラジオを必ず聴いている状態であったが(母からは耳がおかしくなるなどと言われていた。)、そのような時にはイヤフォンはせず、窓を開けて環境を楽しんでいた。

当時は無意識にやっていたことだが、あの頃にはもう今の自分の感性や趣味は完成されていたような気がする。

高校生でもそれはあった。やはり部活があるため土日は暇ではなかったが、5月の半ばで部活が終わった後、初夏も頭の頃に、ベッドの上で寝転びながら、頭上のカーテンと窓を全開に開けてぼーっとしていたことを思い出す。
あの頃はあれが妙に心地良かった。

考えてみれば大学受験については親から特に何も言われなかった私にとって、部活も終わり自由になり、初めて息をついた期間だったのかも知れない。

夏になる頃には受験勉強を一生懸命やっていたので、そのようなゆっくりした時間はなかった。

今年の春はもうあまり焦りもないのであの頃のように穏やかな日々を過ごしたい。

特にゴールデンウィークが今年は11日ほどあるので、それがすごく楽しみだ。

また、そういった1日を過ごすのに最適な趣味だなと、ブログを始めたことを嬉しく思う。

1996年生まれの私にとっての秋葉原

先日、久しぶりに秋葉原に行った。
もう少しで東京を離れるからである。

私が初めて秋葉原に行ったのは2010年。けいおん!!(2期の方)が放送中で、俺の妹がこんなに可愛いわけがないとある魔術の禁書目録Ⅱ辺りの放送を控えていた時期だ。
正式に言うならば東京近郊に住んでいた私は両親に連れられて秋葉原には何度か行っていたが、自発的に行ったのはこの頃が初めてだった。

当時の私はオタクに対して非常に憧れがあった。中学2年生の私は野球部の部長を務めおり、アニメを見るようなタイプではなかった。
そんな私は深夜ラジオに傾倒し、やがてたくさんの知識を持つオタクに憧れていった。
今回は自分語りは面倒なのでこのくらいにする。

とにかくオタクに憧れる自分にとって秋葉原は輝いて見えた。家から電車で30分の距離ではあるものの、当時は電車で友達と遊びに行くと言うのは一大行事であった。

大宮方面から京浜東北線秋葉原へ向う。
駅に着くと車内から大きいヨドバシカメラが見える。あれだけでテンションが上がったものだ。

電気街口を出、中央通りを渡る横断歩道の辺りまで来れば、大きなアニメの広告がいくつも見られる。
ああ、俺は今秋葉原にいる、オタクの街にいるぞ!と昂った。

中学生の私たちは金もないためこれといった買い物はできない。だが、とにかく色々な店に入った。
買えもしないプラモデルやフィギュアを見て、そういうものが売っていること自体に喜びを感じた。
秋葉原は本当に非現実的な場所だった。

そんな原体験があるものだから、私はいまだに秋葉原に行きたくなる。
しかし、行ったとてものの10分ほどでやる事はなくなる。

もうアニメもほとんど見ないし、グッズが欲しいとも思わない。
あの時の興奮はもう何回行っても味わえないと思うと寂しい。

今の中学生も秋葉原に同じようなイメージを持っているのだろうか。
最近は無料案内所ができるなど、その様相は以前にもまして違っているように思える。

ただ、私が中学生の頃もインターネット上では、秋葉原はもうつまらなくなった、という旨の記述をよく見かけた。
確かに当時の秋葉原は電気街の要素はほとんど無かった。それらの存在が秋葉原を表すと考えている人からすればつまらない街だったのだろう。
しかし、当時の私からすればあそこは間違いなくオタクの街であり、自分が憧れていた街に他ならなかった。
自分が見ているアニメの掲示物などを見るだけで感動したし、学校ではあまり感じることができない、アニメなどの流行を感じることができた。

どの世代の人もその世代特有の秋葉原観を持っており、それが『自分の街』と認識できるとしたら素敵だなと思う。

創作活動における盗作かそうではないか

マチュア間での盗作というのは中々に難しいものである。

盗作は、盗作した作品を知っている人の目に付いて初めて盗作になるため、そもそも知られていない作品の盗作はバレないと考えるのも分かる。

私はバンド活動をしている頃、同じくインディーズ で活動するとある人の曲に影響を受け、一部分似た曲を書いたことがある。
そのことについて誰かに指摘されることはなかったが、ある時自分で「これ影響受けてんな」と気づいた。
その後、影響を与えた原曲の作成者にそのことを話した。
その時の文句としては「すごく好きで共感してたら自然とこんな風に書いてしまっていた。」といった調子だったと記憶している。

これに対してある意味パクられた側の彼は「影響を受けるほど好きになってくれてありがとう」と返してくれた。

逆に私が影響を与えたパターンもある。

私が作った曲のコード進行が面白いから真似して作った、と友人に言われたことがある。
コード進行が同じ曲など世の中にはザラにあるが、この時このように言われた私は「俺のセンスいいだろ!」と調子に乗ったものの、当然ながら怒りはなかった。

日頃見聞きしているものに影響を受けることは多少なりとも絶対にある。
それが指摘された時に、相手へのリスペクトを持って対応することが大切だし、当たり前だろう。

上記の私の2体験には紛れもなくリスペクトがあった。影響を受けるほど、真似をしたくなるほど、あなたの作品は素晴らしいというリスペクトをしていた。
それが有るか無いかが大切だと思う。

ただ仮に本当に盗作した訳ではなく、たまたま同じような作品を作ってしまった場合が本当に厄介である。
本当に知らないのだ、と主張したとしてもそれを信じてくれる人は少ないだろう。

この場合、盗作を疑った側と疑われた側、その両方に正義があると私は思う。
そうなると、盗作を疑われた方が泣き寝入りする以外の方法が思いつかないのが私の浅いところだ。(私なら早々と謝ってしまうがそれが正しいとは思わない。)
ただやはり、大々的に盗作を疑われる場合というのはいくつもの類似点や類似作品が挙げられることが多いように感じるのも私の中では事実だ。

どの界隈にも存在する「逆らってはいけない人」

当たり前のことだが私はこれまでに何度も、「既に出来上がっているコミュニティ」に途中から参加することがあった。
会社や大学のサークル、SNSにおけるクラスタなど、それは多岐に渡る。

その中には公式に、もしくは暗黙の了解として逆らってはいけない人というのが存在する。

例えばそれが会社やサークルの先輩、と言った所属するコミュニティの公式の長であれば問題ない。
しかし、SNSや学校の同級生同士のコミュニティにおける暗黙の了解の下の逆らってはいけない人、これが問題だ。

この場合の逆らってはいけない人は往々にして、自分は偉そうにしていない、自分は皆と対等である、という態度をとる。
しかしそこには、純粋に喧嘩が強いことやもっと上の立場とのコネがあるなど、確実に逆らえない理由がる。

その人が間違っていると声をあげる人は少なからずいる。彼らの行動は正しく、尊敬するべきであろう。
だが行動を起こした人の大半は、逆らってはいけない人の周りの人間から所謂いじめ、もしくは無視を受けることになる。

この場合の一番の問題点は、あくまで「逆らってはいけない人」は何も手を汚していないため、彼らは加害者には成り得ないところだ。
立ち上がった人は勝手に落ち込んでいることになる。

また、仮に「逆らってはいけない人」が直接手を下した場合も結果は変わらない。
「逆らってはいけない人」の行動を周りの人間は肯定はしなくとも、咎めることもせず静観するだろう。

「逆らってはいけない人」は絶対に反省をしない。何か行き過ぎたことをした場合、反省をしている、という姿勢を見せる。
その姿勢を見せたことに周りの人間は納得をしたフリをし、爪弾き者にされた人以外の人たちでそのグループは円滑に回る。

私はこれを断ち切りたい。だがそれをするにはいつも自分には人望が無過ぎる。
どこにいても私には怖い存在がいるのだ。

初夏、18時過ぎの切ない気持ち

当たり前だがまだ初夏ではない。
と言っても、東京はだいぶ暖かくなってきた。
ここまで暖かいとついつ夏を感じてしまう。

3月30日18時11分にこれを書いている。

窓を開けると生暖かい風が入ってくる。

住んでいるアパートの前の道路を通る車やバイクの通り過ぎる音が響く。
それにかき消されないではっきりと聞こえてくる親子の会話が妙に懐かしい。

もうほとんど日が落ちてしまった、少し寂しい。

少年時代、夏の夕方とは妙に切ないものだった。それは今も変わらず、切なさは当時より強いように思う。

何か大切なことが終わってしまうような、もうその大切なものとは相対することができないような感じがする。
胸の辺りがキュッとなって、何か抵抗をしなければと奮い立っても、何も出来なまま日が落ち切るのを待つばかりだ。

具体的なことは何も思い描けない。ただただ、暖かい1日が終わってしまうことがやるせない。

ただ、このような気持ちを抱ける人間で良かったと思う。
これは私が私である所以な気がする。
この感覚が私の趣味趣向の全てを決定づけているに違いない。

まだ春だが、これからどんどん暖かくなるだろう。

夏になったら海に行きたい。
新しいTシャツを着て旅に出たい。
星の見えるところでキャンプをしたい。
河川敷の群衆の一部になりながら花火が見たい。
エアコンの効いた部屋で麦茶を飲みながら高校野球を見たい。

ああ、楽しみだ。夏が楽しみだ。
今日は少し夏を先取りできた。
この切なさをぎゅっと抱きしめて、私は明日も生きていこう。

年も取ったし、友達も遠くに行ってしまった。
でもこの気持ちは変わらない。
切なくしてくれてありがとう。

人に恵まれてきた人生

2月に仕事を退職した私は4月からまた仕事に就く。

ある意味ロックバンド活動を終え、サラリーマンになるということで、感慨深い気持ちがある。
大学を卒業するときにはあまり無かった感覚であり、きっと同級生は当時これを感じていたのだろうと思う。

加えて4月からの就職は俗にいう新卒用での就業であり、就業経験のある者が再度新卒として就職することは、世の中的にも中々ないことなのではないかと思う。

それについては別に書くとして、今回は今までの人生を振り返る的なことを書く。

タイトル通り、私はとにかく人に恵まれてここまで生きてきた。

地元の公立中学校に進学した私は、今に至るまで一番の親友と言えるほど話の合う、良い友達と出会うことができた。
公立という画一化されていない環境でこのような友達と出会えたことは運が良いとしか思えない。

都内の私立高校に進学後にも今に至るまで仲の良い友達に出会った。
彼らとは趣味が合い、彼らとしかできない話があるのが魅力的である。これも運が良い。

大学では変な人たちと出会った。
私も大概普通ではないく、大学生のサークルというものが嫌いではあったものの、その変わった人たちがいる居心地が良い場所にみを置けたのがよかった。おかげで大学生活を普通に終えることができた。やはり運が良い。

バンド活動においても対バン相手などから友達ができた。自分の書いた曲を評価してくれる者や、自分の性格を面白がってくれる人に出会った。
これまで自分が関わってこなかった環境で生きてきた人であるものの、価値観は合う、という稀有な友達を得ることができた。これは本当に運良かった。

4月に就職をする会社についても例外ではない。
普通は受けさせては貰えない新卒採用の試験を受けさせてくれた。
面接では普通の人は資格の話や勉強やボランティアの話をするのだろうけれど、私はロックバンド活動をいかに頑張ったかを話した。
その結果「良い経験をしたね。」と肯定してくれた。

人との出会いというのは兎角運だと思う。特にインターネットなどを見ていると、中々人と会う機会がなかったという人がいる。
私は本当にたまたま出会えたのだろう。

各ステップで本当に仲良くなれた人たちはせいぜい2,3人と言ったところだ。

それでも、一年を通して、その折々で連絡を取り合ったり、意見を交換できる友達ができたことが私はとても嬉しい。
人任せな話かもしれないが素晴らしい人格である彼らの存在が、僕の今までの人生を肯定してくれているような気がする。

大学生はお金がないという風潮は間違っている

「学生なんだからここは奢ってあげるよ」

私が大学生の頃、署先輩方からよくいただいた言葉だ。
この、大学生だからお金がない、という考え方は私の中では些か古いような感じがしている。

私が大学生だった期間は2015年から2019年にかけての4年間である。
また、私が通っていたのは、いわゆるMARCHという括りで扱われるレベルの私大であり、文系だ。
優秀でもなければ劣悪という訳でもないと自分では認識している。

上記の大学生活において、交流が少ない中でも様々な学生と否応無しに関わった。
そこで感じていたのが、学生=貧乏という認識の誤りだ。

私の周りの大学生の大半が金に余裕があった。

一人暮らしをしている者は新卒一年目の社会人では住めないような所に住み、食うのに困らない仕送りを貰っていた。
実家暮らしの人間においても、食うには困らないのはもちろんのこと、ろくに使いもしない最新のMac Bookを与えられ、親から貰ったお小遣いで女を抱くような連中が沢山いた。

これは単に私大であるからお金に困らない人が来るのは当たり前だと思っていたのだが、国立大学でも優秀なところではこのような傾向があると知人に聞いた。

もちろんそうではなく、奨学金を借り、必死でバイトをして大学に通っている人がいることも認識している。

がしかし、例えばその辺のテニスサークルの連中全員に声を掛ければ、その大半は金に困っていない、それどころか余裕があることだろう。

社会人になってからもそれは続いている。私の周りには家賃を親に払ってもらっている、家具などは一式親に買ってもらった、などの話は当たり前に転がっている。
もちろんそれは各家庭のことなので口を出すつもりはない。子供のためを思って行動するのは親の希望だろう。
ただ、大学生活のおよそ全ての支援をしてあげている愛娘が、大学の甘っちょろい先輩に食われている様を想像すると同情する。

話が脱線したが、大学生はお金がないから、という認識は間違えであると思う。
大学生の金がない、という言葉は遊ぶ金がないという意味であり、大学生はお金がないという傾向すらないだろう。

本当に困っている大学生にこそ多大な支援をして欲しい。